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臨床環境学プログラム

2014年06月13日 臨床環境学研修(ORT)学外実習に関する教員ブログ記事

5月29-31日に実施された臨床環境学研修(ORT)学外実習について担当教員の一人が執筆したブログ記事2件(FIT, Give and give)がありますので、ご紹介します(本記事の内容は執筆者の見解であり、大学、研究科、センターの見解を述べたものではありません):

FIT

 三重県松阪市、多気町を学生たちとともに訪問した。最近、どちらの町もバイオマスエネルギーを利用した大型の発電施設の建設や計画が進んでいる。一日目の夕方には、松阪市および多気町の担当職員に来ていただいて、その構想を語っていただいた。 松阪市では2007年から民間事業者によって木質バイオマスエネルギーの大規模な利用が実現している。松阪市は昔から製材業が盛んで、業者が共同で出資して大規模な製材工場、チップ工場、プレカット工場、木材市場が隣接する木材コンビナートを建設した。そこで生産される木質チップを利用して、木質バイオマス熱利用協同組合が大型ボイラーで蒸気をつくり、精油会社と食品加工会社にそれを供給している。稼働から6年以上、順調に熱の供給が行われている。
 現在は工場で使い終わってもまだ残っている熱をさらに農業用ハウスに有効活用しようという事業が進んでおり、今年7月稼働をめざしてトマトなどを栽培する2haのハウスの建設が進んでいる。松阪市は木質バイオマスの熱利用という面では日本の最先端を行っていると言えるだろう。
 それに加えて、新しく設立された三重エネウッド株式会社による木質バイオマス発電所の建設が進んでいる。2012年からはじまった再生可能エネルギー固定価格買取制度(Feed in Tariff, FIT)のもとで全量売電を目的とする発電所で、出力5,000kW、年間の木材利用量5.5万トンという相当な規模である。今年11月の稼働を目指して、建設は佳境にさしかかっている。
 年間の燃料材利用量に対して、地元の松阪飯南森林組合が一年間に出材する量は2,000トン程度であり、桁がひとけたちがっている。発電所では、すでに一年分の燃料にあたる6万トンの材をストックしている。これは松阪市の土場まで運んでくればトンあたり7,500円で買うというやり方で買い集めたもので、周囲10府県から調達しているとのこと。相当遠方からやってきたものもあるようだ。発電所の向かい側にある広大な敷地に、山のようにうずたかく丸太が積みあげられていた。
 地元松阪市内の森林からできるだけ燃料を供給し、地域の林業を活性化させたいところであるが、森林組合が出材するにはトンあたり1万円以上のコストがかかるため、現在の燃料材の買取価格では無理である。材の買取価格は、FITで定められている発電電力の売電単価で決まっているので、上がることはないだろう。
 つまり、すぐ近くにどれだけ需要があるとしても、燃料用の材を伐採搬出するためだけに、作業道をつけ大型の林業機械を使って出材するというのはありえない。出てくるとしたら、従来どおり、柱や板になる高品質な材(A材という)や合板に加工される材(B材)を伐採搬出するときに、まがっていたり細かったり、虫が食っていたりして用材にはならない低品質な材(C材)をいっしょに伐採搬出してくる、ということだ。従来でもC材の需要として木質チップがあり、これはトンあたり3,000円程度の価格で買い取られている。それに見合わなければ切り捨てられて林の中に残されてきた。これが発電所でトンあたり7,500円で売れるようになれば、搬出できるC材量は増えると見込まれる。
 しかしながら、A、B材に対するC材の割合は決まっていて、せいぜい全体の3割程度だろうから、いくらC材需要があったとしても、現在の出材量を大幅に増やすというわけにはいかないだろう。最大で3割増しになる程度であろう。とすれば、最大で年間500トンとかそれぐらいであって、年間必要量5.5万トンに比べれば無視できるような量だ。
 一方、松阪市は三重県内で最大の森林面積をほこる。その76%は人工林で、その面積は約3万ha。そこで毎年成長する材は、100万トンというようなオーダーの数字である。その状況で、毎年2000トン程度しか利用できていないということだ。間伐の手が届いているのは3万haのうちのごくわずかだろう。残された膨大な面積の人工林の間伐をどうすすめるのか。その間伐材を建築用材としてどう活用するのか。また、日本の人工林は林齢構成がかたよっていて若い林がまったくない。間伐遅れで用材生産としてはもう期待できない林は皆伐・新植して森林を若返らせることができるか。そういう発想と計画づくりが求められるところである。
 そこまで考えると、問題は日本の都市でいかに地域の木材を利用して建物を建てたり、内装をやったり、街区に利用するか、という「都市の木質化」という課題に帰着する。また、実際に林業に携わる若い世代をいかにいなかに呼び込むかという、過疎問題への取り組みとしての移住・定住の課題に帰着する。木質バイオマス発電所が地域にできようができまいが、取り組むべき課題はいっしょである。
 逆に木質バイオマス発電所の立場から考えると、結局建築用材としての日本の材の需要が伸びないかぎり、燃料材は集まらないということになる。松阪一か所の発電所の燃料さえ周囲10府県から調達しなければならないというのに、となりの多気町さらには津市にも同様な規模の木質バイオマス発電所の計画がある。FITができたからといって、突然日本のスギやヒノキの建築用材としての需要が高まることはあり得ないので、燃料材が調達できず、発電所が運転できないということになりかねない。木質バイオマス発電はきわめてリスクの高い事業と言わざるを得ない。
 地域の林業や山間地域を盛り立てるということについて、FITに過大な期待は禁物ということだろう。今回の調査で分かったことは、やるべきことを地道にやっていくということが大切という、ごく当たり前のことであった。

Give and give

学生たちとの調査旅行、三日目は三重県鳥羽市を訪問した。エコツアーのプログラムを実施している「海島遊民くらぶ」を訪問し、代表の江崎貴久(えざききく)さんからお話しを聞くとともに、町なかのプログラムである「台所つまみ食いウォーキング」をみんなで体験した。
 貴久さんは事務所のとなりにある旅館「海月」の若女将である。前日の夕方、旅館に到着した我々を着物姿で迎えてくれた姿は、「美人女将」の評判がたつには十分である。この日はジーンズにTシャツ姿で、まず「海島遊民くらぶ」の基本理念や活動内容についてプレゼンをしてくださった。貴久さんは大学卒業後、東京の大手商社に勤めるものの、実家の海月が倒産。その再建のために帰ってきて代表取締役となるとともに、有限会社「オズ」を設立、「海島遊民くらぶ」を立ち上げた。
 「観光とは?」という話からはじまり、観光立国推進基本法をひきながら、観光とは観光業者がもうかるという経済の話ではなく、「国際平和と国民生活の安定を象徴するもの」であり、「国の光を観る」ものであるということ。海島遊民くらぶのミッションには「地域を愛し、持続可能な観光のあり方から、持続可能な地域づくりへの貢献を目指します」とある。高い志をもって事業を展開している。
 具体的なエコツアー事業の中心は、離島ツアーである。離島のありのままの風景、暮らし、文化を体験してもらうもので、地元住民の理解と協力なしには成り立たない。お客を連れて行ったその場にたまたま居合わせて話をしてもらったり、穴場に連れて行ってもらったりと、地元の皆さんには時々にお世話になる。それに対して、オカネを払ったりするようなことはできないものの、営業としてやっているツアーなので、何か地元に還元することをしたい。
 その一つが、菅島での「島っ子ガイドフェスティバル」である。島の小学校と共同で、総合学習の時間の取り組みとして、子どもたち全員に島のガイドをやってもらうというプログラムを企画運営している。子どもたちは、島の好きなところを持ち寄って、ガイドのプログラムを作る。イベントの当日は、実際に島に訪れた観光客を子どもたちだけで案内する。ポイントとポイントの移動のときに見知らぬ大人たちとどう過ごすのか、どうおもてなしするのか、というのも子どもたちが考える。道々子どもたちが歌をうたうということになり、最初はテレビで聞くような歌をうたっていたそうだが、貴久さんたちが「わざわざ島に来てくれた人がそういう歌を聞いてうれしいかな?」と問う中で、子どもたちは地元に伝わるお祭りの歌をうたうようになったという。
 とてもよい取り組みである。子どもたちは小学校を卒業すると、島の外の中学校に通うようになり、高校では島から出ていく。将来どれほどの子たちが島に帰ってくるかで島の将来は決まる。現状ではどんどん過疎・高齢化がすすみ、集落消滅につきすすんでいる。そういう状況にあって、子どもたちが島の魅力を理解し、伝える力をもつことは何よりの力になる。またそういう子どもたちの姿を見て、親たち、大人たちの意識も変わっていくだろう。将来また彼らが帰ってくることを期待し、歓迎するような意識をもつようになってほしいところである。
 お話しを聞いたあと、いよいよ「つまみ食いツアー」がはじまった。まずは事務所の中にたらいが準備され、地元の漁師さん登場。今朝とれたばかりの大きなタコが放された。みんなから歓声があがる。その場で漁師さんが持ってきた別のユデダコのブツ切がふるまわれた。次は城下町だった町の中を貴久さんたちのガイドで歩く。到着したのは、普通の民家のようだ。海女さんたちがとったサザエ、アワビ、ナマコなどを扱う海産物問屋である。ここでもきれいなおかみさんが出てきて、水槽の中に生かされていたサザエとアワビを出して見せてくれる。10年ものの大きなサザエは市場に出回らないということでなかなかお目にかかれない。これもその場でさばいて、刺身で一口ずつ味わった。最後はしにせのすし屋。ここででてきたイワシの握りずし一貫は絶品だった。美しいバラン細工を89歳という職人のおじいちゃんが実演してくれた。手元も説明もしっかりしていてびっくりである。いずれのみなさんも、話がとても上手で、わざとらしいものではない、心からのおもてなしの気持ちを感じることができた。コーディネートする貴久さんたちの思いが確実に届いているのだろう。
 こうやって事業の中で地域の皆さんと関わるときに、もちろんgive and takeがなりたつように心かけるのであるが、それだけでは成り立たないことも多いという。離島ツアーでは最少催行人数は6名としているそうだが、ずっと前から予約して楽しみにしているお客がいるときに、人数が少ないからとやめるわけにはいかない。お世話になる島の方に相談したら、もちろんOK。なぜなら、島のためにやっていることだから、貴久さんたちが同じ気持ちでやっていることを知っているから、である。貴久さんはgive and giveなんですよね、と語った。
 私たちは豊田市の中山間地の地域づくりに取り組む中で、同じことを感じ、思ってきた。give and take ではなく、give and give。この言い方を私たちも使っていた。同じ言葉づかいを海の衆が使っていることを知って、私はたいへん感銘を受けた。山と海、それぞれに事情は違うけれども、共有し励まし合える思いがある。それは時代の課題、つまり国際平和と人々の暮らしにともる「光」の実現に向けて取り組むときの大きなヒントである。